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1、2011年度第1回日本海学講座2011年6月4日(土)13:30~15:00県民会館304号室「古人骨から見る日本人の起源」国立科学博物館人類研究部長講師溝口優司氏私は、自分たち人間がどうして今のような形で存在しているのかということへの興味から、直接的に証拠を調べることができる人骨を研究している。最近、富山の小竹貝塚で人骨がたくさん発見されたので、その話を期待して来られた方もたくさんおられると思うが、実はまだあまり分析が進んでいない。そこで今日は小竹貝塚の人骨について理解を深めていただくために、私の専門である形質人類学の視点から、人類の起源、日本人の起源と、その背景を概説させてい
2、ただく。1.人類の起源人類はサルから発生した。ヒトとサルを分ける大きな違いは、日常的に直立二足歩行をするか否かである。サルとヒトをつなぐミッシングリンクはいまだにはっきりしていないが、最初の人類とされている猿人は、ほとんどアフリカでしか発見されていない。一番古い猿人は700万年ほど前に出てきたサヘラントロプスで、ほかにアウストラロピテクスなどもいる。猿人の次が原人である。猿人と原人の中間的なホモ・ハビリスはアフリカにしかいないが、原人の段階になると世界中に広まっていく。北京原人、ジャワ原人も原人の仲間である。そこから旧人(ホモ・ハイデルベルゲンシス)という進化段階になり、最終的に
3、新人(ホモ・サピエンス)になる。ネアンデルタール人もこの流れの中にあると考えられていた時期もあったが、現在はネアンデルタール人はヨーロッパや西アジアにはいたが絶滅してしまった、あるいは新人と混血し、新人に吸収されてしまったといわれている。また、昔は北京原人が日本人を含む東アジアの新人の祖先だといわれていたが、最近では北京原人は絶滅してしまい、あらた12011年度第1回日本海学講座めてアフリカで新人にまで進化したものが世界中に広がったという考え方が主流になっている。代表的なものをご紹介すると、猿人の一種であるアウストラロピテクス・アフリカヌスは、脳頭蓋が小さくて顔が相対的に大きい。
4、脳容積は500ccといわれている。原人になると1000ccほどになり、旧人ではさらに大きくなる。しかし、まだ眼窩上隆起が非常に発達している。それがもう少し進化してホモ・サピエンスになる。進化の流れとしては、脳頭蓋がどんどん大きくなり、顔面が相対的に小さく、歯もだんだん小さくなっていく。新人の起源については、猿人同様まだはっきりしたことは分かっていないが、東アフリカのエチオピアあたりで16万~19万年前のホモ・サピエンスの化石が見つかっている。アフリカからヨーロッパや東アジアに少しずつ拡散していき、その一部がこれからお話しする縄文時代人や弥生時代人の元になると考えられている。2.日
5、本人の起源日本にも江戸時代から考古学関係の学者がいたが、シーボルトやモース、ベルツらが来てから、客観的に物に基づいて研究する、形質人類学的な研究が始まったと思われる。最初のころは外国の研究者が日本人の起源に関心を持っていて、だいぶ遅れて日本人の研究者も少しずつ自分たちの起源に関心を持つようになっていく。たくさんの仮説があったが、東大人類学教室の鈴木尚先生は大きく三つに分類できると言った。日本列島の中の集団が置き換わったという置換説、外来集団と混血したという混血説、昔からいた集団が変形して現代日本人になったという変形説である。欧米の研究者は、ほとんどが置換説をとっている。Howel
6、lsらは、最初、縄文時代人が住んでいて、そこへ弥生時代人の元になる渡来民が大陸からやってきて、日本列島の中でヒトの集団の置換が起きたと考えた。欧米ではいまだにそう考える人が多い。しかし、鈴木先生自身は、縄文時代の前(更新世)にどこかから縄文時代人の祖先がやってきて、それが環境の影響などで姿形を変えて現代日本人にまで至るという変形説を唱えている。22011年度第1回日本海学講座私が学生のころは変形説の影響が強かったが、その後、鈴木先生の弟子筋に当たる尾本惠市、山口敏、埴原和郎らが、変形説は現実と合わないのではないかと言いだした。山口先生は1982年に出された論文で、縄文時代、基層集
7、団である縄文時代人が日本列島全体に住んでいたところに渡来系の弥生時代人がやってきて、混血して現代日本人ができたという混血説を唱えた。後に埴原先生は同様の自説に「二重構造モデル」という名を与えた。実は、縄文時代人や弥生時代人がどこから来たかということを言う人は、1985年ごろまではいなかった。地域を初めて特定したのは埴原先生で、骨の研究から、弥生時代人がシベリアのバイカル湖あたりの新石器時代人に非常に似ていると指摘した。私自身も、その後もう少し詳しい分析をして、バイカル湖付近から西
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