小波瀬病院広报志

小波瀬病院広报志

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时间:2019-08-11

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1、おばせ小波瀬病院広報誌ご自由にお持ち帰りください。『医療を通じ地域住民の健康と福祉への貢献』当院は、(財)日本医療機能評価機構の認定医療機関です。平成18年10月陽明会の経営者が交代しました。昭和57年、若い3人の医師が、”京都郡に救急医療を”という強い思いを実現しようと、小波瀬病院をこの地に設立しました。開設当初は83床の小さな病院でした。「とにかく寝る暇もなかったね。がむしゃらにやってきたよ。」と3人の開設者は当時を振り返り言います。それから紆余曲折を経て、135床、175床と規模も拡大。平成2年には

2、医療法人陽明会として業務開始。さらに240床、そして現在の296床へと発展することが出来ました。また、御所病院や介護老人保険施設菖蒲、在宅部門つくしと、関連施設も増えました。そして、開設25年目を迎えた2006年10月、3人の医師は新たな3人の若い医師にバトンを渡すことにしました。開設当初の医師3人の”京都郡に救急医療を”という思いは、新たな3人の医師に受け継がれて行きます。新たな3人の医師にとっては全くのゼロからのスタートという訳ではありません。すでに土台は形成されています。しかし、これだけ規模の大きく

3、なった病院を、“医療を通じ地域住民の健康と福祉への貢献”の実現に向けて舵取りをしていくことは、容易ではないかもしれません。それでも3人の医師の下、職員一同全力を傾けて、新たな陽明会、そして小波瀬病院としてさらなる船出をいたします。皆様の暖かいご支援、ご理解の程、よろしくお願いいたします。1982198219991995新経営陣のご案内2006年10月理事長川内彰理事山家仁理事髙橋治城眼科救急救命科脳神経外科経歴経歴経歴平成5年昭和62年平成5年産業医科大学眼科学教室入局鳥取大学医学部附属病院長崎大学病院脳

4、神経外科入局平成7年小波瀬病院昭和63年4月松江赤十字病院北九州市立八幡病院現在に至る昭和63年10月小波瀬病院平成6年長崎県立島原温泉病院現在に至る平成7年十善会病院平成8年シミズ病院平成9年長崎大学病院平成12年小波瀬病院現在に至るPage2前理事長飯山長成9月末をもって小波瀬病院を退職する事になり、開業以来の苦労した事、楽しかった事等を思いつくままに書いてみた。当初は青木、吉永両名と三人での当直が繰り返してまわって来る、恐怖と睡眠不足の毎日で、今思い出してもぞっとする。わずか40数名のスタッフでの、

5、病院運営は各部門できついローテーションとなり、ほぼ全員が急激に痩せ、青白い顔をして、院内を走り回っていた。わずか数分の時間が取れれば、仮眠を取り、寝不足を補っていた。夜間の急患の検査、レントゲン撮影などは、連日の呼び出しが気の毒になり、自分で顕微鏡を覗いたり、レントゲン撮影の条件を合わせスイッチを押していた事もある。やがて各部門のスタッフも複数化し、外部からの医師当直の応援が得られ、我々も少し時間が取れるようになった。今の充実したスタッフをみると、夢のようである。しかしこの様な辛い事の反面、お互いが全て顔

6、なじみであり、仕事につけ、遊びにつけ団結心が強く、全員が一丸となって、取り組めた。おかげで楽しい思い出をたくさん作ることが出来た。勤続5年のハワイ、サイパン旅行、15年のアメリカ、フランス、ギリシア等の海外旅行である。特に思い出深いのは、8日間で16、7回も飛行機を乗り継いでのナイアガラの滝、カナダの氷河、ラスベガス、グランドキャニオンの強行スケジュールの旅である。添乗員なしの旅行だったので、色々なハプニングに遭遇しながらも、あやしげな片言の英語で、どうにか乗り越え無事日本に到着した時は涙が出そうに嬉しか

7、った。退職をまじかにして、この25年間の事が色々と頭を駆け巡り、目頭が熱くなってきます。多くの思い出を有難う。皆さんの御協力を心より御礼申し上げます。陽明会が益々発展しますよう、また皆様の健康をお祈りいたします。前理事青木史一飯山長成先生、吉永啓先生と共に小波瀬病院を立ち上げ、24年を経て、今年還暦を迎えました。数次に亘る増改築を行い、御所病院を合併し、陽明会としてベッド数500以上、職員数700名以上を数えるまでに発展しました。この時期に次の経営陣にバトンタッチ出来、一安心しています。患者さんはもとより

8、、その御家族、スタッフ、業者の方々、たくさんの人々と出会えた事を嬉しく、なつかしく思います。多くの人々のおかげでここまでやって来れました。感謝の気持ちで一杯です。今後はこれまで以上に地域の方々に愛される病院となる様に皆さんで力を合わせてください。本当に有難うございました。前理事吉永啓昭和57年8月、3人で京築地域の救急医療に少しでも役に立てればという思いで小波瀬病院を開設しました。周囲の人たちは"手術を受ける患者さんは北九州へ

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