昭和天皇二つの「独白錄」

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1、昭和天皇 二つの「独白録」                    1998年7月23日第1冊発行                              NHK出版著者   東野 真  1965年生まれ 東京大学文学部卒 NHK入局           広島放送局を経て、現在教養番組部ディレクター解説者  粟屋憲太郎 1944年生まれ 東京大学文学部卒 立教大学教授           専攻は日本現代史     吉田 裕  1954年生まれ 東京教育大学卒 一橋大学教授           専攻は日本近現代史(本書の構成)  第1章  「昭和天皇独白録」の謎 

2、 第2章  天皇制の危機  第3章  神国日本  第4章  対日心理作戦  第5章  天皇訴追すべからず  第6章  無罪の立証  第7章  徹底比較 二つの「独白録」  第8章  舞台裏での攻防  第9章  天皇退位せず  第10章 「独白録」とは何だったのか第1章  「昭和天皇独白録」の謎 1946年3月18日~4月8日  計5回  8時間以上 聞き取り者5人 松平慶民(宮内大臣) 松平康昌(宗秩寮総裁)         木下道雄(侍従次長) 稲田周一(内記部長)         寺崎英成(御用掛) この聞き取り「独白録」が国民の前で明らかになったのは199

3、0年のこと 昭和天皇の死 1988年(昭和64年) 御用掛の寺崎英成の娘 マリコ=テラサキ=ミラーが、父の遺品の中から 発見、公開にふみきった。 1990年「文芸春秋」12月号に掲載。反響大。1991年3月単行本化 独白録  便箋170枚  上下2巻 上~張作霖爆殺から太平洋戦争開始まで 1927年~1941年 下~終戦まで  1941年=1945年 東京裁判対策  1946年5月3日 裁判開始 天皇不訴追に理由  1.アメリカの政治的判断           2.冷戦前夜の国際的政治力学 日本版 寺崎英成  英語版 寺崎がマッカーサーの秘書フェラーズに英語  

4、             に翻訳して渡したもの第2章 天皇制の危機 戦犯  1945年9月  39人   12月  100人以上 アメリカ世論  天皇処罰すべき  70パーセント以上 アメリカ上院  全会一致で天皇の処罰を決議(戦犯として) 開戦の責任  東条英機の独断  天皇は知らなかったということでいく        事実 1941年11月5日の「御前会議」にて天皇が裁可 1945年11月5日  天皇とマッカーサーの会見  天皇が尋ねる形          マッカーサー曰く「惨めな天皇の姿を見ると心が痛む アメリカは戦時中の1942年 戦後の対日占領計画を検

5、討していた。 アメリカ国務省内の対立 親日派と新中国派  44年親日派が実権を握る 親日派の方針 戦後、天皇を利用する 天皇を支持するもではない(45年8月) 天皇が退位した場合は「戦犯ヒロヒト」として扱う。 1945年 8月 マッカーサーの側近中の側近 フェラーズ来日 彼の方針 開戦が自らの意思でなかったことを立証できれば戦犯ではない      日本政府に助言 政府の基本見解  軍の決定に従うほかに方法はなかった          真珠湾攻撃については知らなかった*この当時戦後の責任として政府はアメリカ対策一辺倒。視点の中にアジアや中国、朝鮮はまったくはいって

6、いない。第3章  神国日本 GHQの対日占領政策と天皇の戦争責任問題に強い影響力を発揮したマッカーサーの秘書フェラーズの人間像を考える。 1896年生まれ イリノイ州の農家 プロテスタント系クェーカー教徒(保守的) アーラム大学在学中に日本人留学生渡辺ゆりと親交(2年間) 津田梅子 1922年 初来日 26才の時 恵泉女学園の創立者河井道と親交         ラフカディオ=カーンに傾倒 200冊以上を読破1930年 2度目の来日 34歳の時 小泉八雲家を訪問 小泉セツと親交1937年 3度目の来日 41歳の時 マッカーサー フィリピンのケソン大統領1938年 

7、4度目の来日 戦時体制化の日本を見て、ファシズムの危険を指摘3度の来日 知日派 保守的な共和党員 「日本兵の心理」という著書第4章  対日心理作戦 「生きて虜囚の辱めを受けず、死して罪過の汚名を残すことなかれ」戦陣訓 日本兵のこの考え方を覆す フィリピン戦線でのフェラーズの対日作戦 「生きて祖国の再建に尽くすべき」 撒かれたビラ 2億2千万枚 フィリピンで投降した日本兵12.800人 四分の三がビラを見て投降 フィリピン戦線に参加した日系2世の若者にはアメリカ共産党の党員が多い 「日本軍国主義打倒」が共通の目標 捕虜になった日本兵 取るべき態度を知らない。協力的

8、になることが多い 日本人

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