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时间:2018-08-07
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1、近現代文学昭和時代の文学1、昭和十年代の文学昭和十年代前後は、満州事変(1931、9、18)、上海事変(1932、1)、二・二六事件(1936、2、26)、日中戦争(1937)と混乱した時代であった。不安な社会情勢の中で、言論・思想への弾圧が強化され、特にプロレタリア文学は強い圧迫を受けた。このプロレタリア文学に対立していた芸術派や旧世代の作家たちが活躍の機会を得て、文芸復興の様相を示した。昭和十六年(1941)太平洋戦争に突入すると、言論・思想の統制がさらに強化され、自由な文学活動はできなくなった。転向文学や時代に
2、そった国策文学などがこの時代の傾向を反映している。中島敦(なかじまあつし)の作品はこうした時代にあって貴重であり、小林秀雄(こばやしひでお)や亀井勝一郎(かめいかついちろう)の評論活動も注目される。①文芸復興(ぶんげいふっこう)の時代「純文学」の衰退(すいたい)が懸念(けねん)された数年間を経て、昭和八年(1933)ごろから今度は一転して「文芸復興」が叫ばれるようになり、以後戦時体制へと移行するまでの三~四年間、文壇は再び活気を呈することになった。現象として最も目立ったのは、それまで事実上「新潮」一誌であった純文学商
3、業ジャーナリズムに、あらたにこの年、「文学界」「行動」「文芸」が名乗りをあげた事実である。「文学界」が毎号新人の発掘(はっくつ)に力を入れ、「文芸春秋(ぶんげいしゅんじゅう)」が翌年昭和九年(1934)に芥川賞、直木賞を設立したのも、メディアの需要に伴って、既成流派を超えた「新人」への待望論(たいぼうろん)が高まりを見せていたからにほかならない。だが、新しい世代が直ちにこれに応じたわけではなく、むしろプロレタリア文学の退潮(たいちょう)に伴い、それまで沈黙を守っていた大家たちが再び旺盛な創作活動を開始したというのが、
4、その当初の動向であった。旧世代の作家の作品:徳田秋声(とくだゆうせい)の『仮装人物(かそうじんぶつ)』『縮図(しゅくず)』、永井荷風(ながいかふう)の『ひかげの花』『濹東綺譚(ぼいくとうきたん)』、島崎藤村の『夜明け前』、志賀直哉の『暗夜行路』、谷崎潤一郎の『春琴抄(しゅんきんしょう)』『盲目物語』、宇野浩二(うのこうじ)の『枯木(かれき)のある風景』、正宗白鳥(まさむけはくちょう)の『戦災者の悲しみ』などである。②転向(てんこう)文学プロレタリア文学運動からの転向の苦脳を、私小説的に告白したものをいう。代表的な作品
5、として、中野重治(なかのしげはる)の『村の家』、島木健作(しまきけんさく)の『盲目(もうもく)』、『生活の探求(たんきゅう)』、村山知義(むらやまともよし)の『白夜』などがある。③戦時下の小説昭和十三年(1938)九月、久米正雄(くめまさお)、丹羽文雄(にわふみお)、岸田國夫(きしだくにお)、林芙美子(はやしふみこ)らが従軍作家陸軍部隊として中国へ向かい、同海軍部隊として菊池寛(きくちかん)、佐藤春夫(さとうはるお)、古屋信子(ふるやのぶこ)らが出発した。いわゆる「ペン部隊」のはしりである。呼び掛けは内閣情報部であっ
6、たが、むしろリアルな「現実」の先端に触れ、新たな「素材」を開拓したいという文学者らの自発的な願望が、やがては当局の隠微な情報操作に絡めとられていく過程としてこれを見ることができる。事実その規模の大きさに比して、実作の収穫は丹羽文雄の『還らぬ中隊』などを除き、一般には極めて乏しい。新たな「生活」を模索しようとするモチーフは、戦場というあまりにも赤裸々な現実に直面したとき、前線の兵士とそれを傍観するしかない従軍者との埋めようのないギャップを暴きだしてしまうことになったのである。代表的な作品に、丹羽文雄の『還らぬ中隊』、林
7、芙美子の『戦線』(戦争美化として悪評高い)、上田宏(うえだひろし)の『黄塵(こうじん)』、日比野士朗((ひびのしろう)の『呉淞クリーク』、火野蘆平(ひのあしへい)の『糞尿譚(ふんにょうたん)』(第六回芥川賞)『麦と兵隊』(ベストセラー)などがある。2、戦後の文学昭和二十年(1945)、太平洋戦争が終結して、言論・表現の自由が回復された。戦争中、沈黙を強いられていた人たちが、活動を開始する。新戯作派(無頼派)と呼ばれた太宰治(だざいおさむ)や坂口安吾(さかぐちあんご)らは、戦後の混乱の中で、古い道徳観に反逆する作品を発
8、表して若い世代の共感を得た。旧プロレタリア系の作家は、宮本百合子(みやもとゆりこ)や中野重治(なかのしげはる)を中心にして、「新日本文学会」を結成し、民主主義文学の確立を提唱した。これに対し、昭和二十一年(1946)に本田秋五(ほんだしゅうご)らの創刊した雑誌『近代文学』によって登場してくる人たちが、戦後文学の中心的な役割を果たすようになる。太
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