东_日本文学_研究_动向_展望

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时间:2019-03-06

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1、NIHONGONO汉字文化圈中的日本古典研究2009年第2期总141号GAKUSHUTOKENKYU東アジアにおける日本文学——研究の動向と展望日本立教大学小峯和明[要旨]近年、人文社会科学の各分野で急速に進展している東アジアの課題について、前近代の文学研究の側から研究の動向を概観し、かつあらたな展望を提起した〈。漢文文化圏〉の呼称説を引き継ぎ、中国と日本の比較研究が一対一対応の一方通行に終始する受容論を批判、朝鮮·琉球·越南(ベトナム)まで視野に入れた多面的多層的な視座を設定、比較論から共有論への転換を提起し、理論研

2、究にとどまらない基礎的な資料調査にもとづく資料学からの構築を提唱、あわせて西洋も視野に入れた〈東西交流文学〉論の方向性にも言及した。[キイワード]漢文文化圏資料学共有文学圏東西交流文学個人的には後述する〈漢文文化圏〉とかさねて用1東アジアというフィールド·研究状況をたぐるいたいと考えており、地域は中国·朝鮮半島·日本·ベトナムなどが対象となるが、ベトナムまで近年「、東アジア」を書名に冠する書籍の公刊含む見方には当然異論もあるだろう。テクニカがあいついでいる。この語彙は、かつての「東亜ルタームにはかならず特定の意味作用が

3、ともな細亜」「東亜」から、戦後に至って片仮名書きのい、思想イデオロギーが介在せずにはおかない「東アジア」に変更され、意味づけを変えて今日から「、東アジア」といっただけで、すでにある種に及んでいる「。東アジア」を銘打つ書名は、すでの指向性や偏向を持ってしまうことは避けられに1950年代からみられ(早いものに、柴三九男ない。とりあえずカッコ付きで使わざるを得な『世界の国々1東アジア』国民図書刊行会いが、かつて日本と琉球·沖縄との一対一対応の1951年)、1960年代にほぼ問題群として確立し、関連性に苦慮し、はなはだ窮屈な思

4、いをした身90年代から2000年代にかけて急速に展開、出版にとっては「、東アジア」はたしかに魅力的なひの量や雑誌特集なども圧倒的に増えているのがろがりのある概念であり、今後の研究のキイワ現状で、今や人文社会の各分野で「東アジア」をードたりうると考えている(類似の発言を琉球標榜していない領域はないといってよいほどの史の高良倉吉もしているから、私一人の思いで盛況ぶりである。とりわけ社会科学系に著しはないようだ)。「東アジア」という言葉のもつあく、人文系では歴史学を筆頭にようやく文学系る種のひろがりは「、日本」というフィール

5、ドのに及んできたといえる。文学研究の閉塞を打開内部で汲々としている者にとっては、きわめてすべく外部に活路を見いだす方策や方便とし有効な概念装置としてあるのではないか。それて、通時代の各領域ジャンルから「東アジア」のもまたたんなる幻想に過ぎず、あやうい落としフィールドが注目されてきたとみなせよう。穴があるかもしれないが、そうした陥穽への危しかしながら、この用語についた刹那から、そ惧をはらみつつも、まずはその路線から追究しもそも「東アジア」とは何をどこからどこまでさてみたいと思う。すのか、その語彙はいつ頃から使われ始めたの

6、か、いかなるイデオロギーを負っているのか、ともともと研究上の戦略的な概念としてあるわいう難問に向きあわざるをえなくなる。時代のけで、それが実体化しつつある危機感の一方で差違はもとより国や地域によって位相差があ今日の研究を活性化しうる仕掛けや磁場となっり、一様には規定できない複雑な問題である。ているとみることができよう。しかし、仮に日81汉字文化圈中的日本古典研究2009年第2期总141号本において有効であるとしても、朝鮮半島や中上の所産とはいえ、神話的始原の形象としてさ国でも同じように「東アジア」意識や概念を共有まざま

7、な図像や造型を通して、確実に実体的なできるかどうかはまた別問題であろう。たとえ世界に認識されており、閻浮提、南贍部州の一小ば、2004年、立教大学でのシンポジウム「地球認地域に浮かぶ「粟散辺土」として日本は意識され識としての東アジアとアイデンティティ」に参ていた。こうした三国観や須弥山世界観はいわ加した折りの印象でいえば、韓国の場合はそれゆる大航海時代のキリシタン渡来にともなってほど「東アジア」は有効で戦略的な学術語として批判されるようになり、近世では蘭学の導入もあるわけではないことが強調され、地域間の温あって、地動説

8、の立場から根本的に否定され、論度差も浮かびあがってきた(荒野泰典他編『「東争にもなる。儒教側は現実主義路線からかえっアジア」の時代性』)。これを要するに、日本内部て西洋の地動説を受け入れるが、仏教側は最後の行き詰まりを外部にもとめるという、政治にまで抵抗し、近代化の波によって次第に克服さ限らず研究においてもお決まりの路線には違いれ

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