笕文生:小尾郊一《中国文学中的自然和自然观》

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1、KURENAI:KyotoUniversityResearchInformationRepository[書評]小尾郊一「中國文學に現われた自然と自然觀:中Title世文學を中心として」Author(s)筧,文生Citation中國文學報(1963),19:134-144IssueDate1963-10URLhttp://hdl.handle.net/2433/177164RightTypeDepartmentalBulletinPaperTextversionpublisherKyotoUniversityいての重鮎的な記述を

2、終わる。この書が凡庸な概説書でなる。とについての略述があるがー紙幅もこえたことで、省略すと思われる。漢賦のあとには、大風歌以下の楚歌と禦府詩全鰹にもかかわる問題としてー示唆的な大きな意味を持つ分で、その主張はもはや賦だけの問題ではない中国文学の諭がなされるのである。この鮎の叙述は特に生彩のある部のがあるとして、楊雄の長楊賦や枚乗の七章についてそのるかは単なる遺徳的判断によってはにわかに決Lがたいも争の形をとるばあいなどにもーその.何れに詩人の立場があかーなかなか見定めがたいばあいが多いという。例えば論して持っており、その二つの何

3、れに詩人自身の垂鮎があるな描寓と共にまた教訓戒告という遺徳的意義をその目的と主要な機能は叙べることであるが、その人物や風物の純粋べられる鞍賦の一般的な性格についてであるo即ちー賦の-がー注目すべきことは'宋玉の風賦を手がかりとしての.以上で、簡単ながら、この書物の特殊性と新鮮味とにつ漢賦の叙述はー完成者としての司馬相加にその重鮎をお中国文畢報第十九析でありー集大成ともいえるものであって、その後記にも見したいいるがーこれにつづく良書が梧々と刊行されることを期待である。同委員合は、現在アメリカ屈指の活動を行なってれた東洋思想・文学入

4、門叢書の第一肘として出されたものこの書はーコロソビア大学の東洋学委員合によって企著さは明白である。なお巻頭のド・バリ今後の車展のうえで大きな貢厳をとげていくであろうこととはいうまでもないがー特に欧米の学界に封しては、そのも随所にみられるからーひろく学界を益するものであるこの廉さと共に個別的な問題についての鋭い示唆に富む孝吉いことは、よく理解されたであろうと思う。総括的な鼠野この書物はー著者の六朝文撃に関する長年の研究の成果小尾郊一「中国文学に現われた自然と自然観O東京!岩波書店一九六二年十一月六五中世文学を中心として(東北大学ー

5、教授の前言によると、ー金」谷治)〇頁134使われていたかなさぐることによって、自然鑑賞の態度がの字が、過去どのように使用され、常時どのような意味でれーあわせて、常時のかかる文献に頻繁にあらわれる「賞」れてはいるのだが)が、これまた豊富な資料によって述べらは'今は散伏してしまった賀料の復原と比較にむしろ歪鮎がおか遊記など、散文にあらわれた自然描寓の特徴われた自然描寓の特徴、及びー常時盛んにつくられた山水の標職を打ち建てた謝蛋運や謝桃を中心とする、詩にあら第二幸「南朝文学に現われた自然と自然観」では、山水詩考えが出てきたことをー豊富

6、な資料によって詳論される0の親しみが博し、次第に自然そのものを遊柴の場所とするの詩の塾生と定着、及び隠遁思想の流行によって、自然第一章「貌晋文学に現われた自然と自然観」で、〝種類の自然が詠みこまれて乗たかを簡単に概観したあと、いて、詩経、楚軒、漢購、古詩十九首などで、どのような著者はーまず序章「観音文学にさきだつ自然の叙述」におた九篤に及ぶ論文を骨子として出来あがったものである。えるように、過去十数年にわたって各誌に吏表してこられ苦評(後者の場合悲秋へ〃鋸)氏によってなされているので(「立命尉文畢」一九六三年四月本書の章を追って

7、の詳しい紹介と批評は、すでに高木正一からいって、まずやむを得ないことであろう。ところで、分が、まま見うけられるけれどもーこれは本書の成り立ち片寄ったり、重複したり、或いは不十分であったりする部は、もっぱら第一章と第二章におかれているO叙述が多少経承され襲化していつたかが、略述される。代につちかわれた自然鑑賞の文学が、唐代以後どのようにかれただけのものであろう。最後の「結語」では、六朝時この章は、一筋の書物としての鮭裁なととのえるためにおいこともあって、さかれた分量はわずか二七頁しかなく、る。しかしこの方面に関する論文は過去車表し

8、ておられな方的な自然をどのように措寓したかをごく簡単に概観されを中心に、かつては南朝文学の培い手だった人たちが、北章「北朝文学に現われた自然と自然観」ではー王裏、庚信どのように遷り襲っていったかな詳細に論謹される。第一二鮎、ここではただ私がこの書物を讃んで得た卒

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