葬式に見る日本人の死生観

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1、葬式に見る日本人の死生観【はじめに】死生観とは、死を通じた生の見方をいうことだ。死生観の定義自体と見る者の視点によって、人々は生死についての考え方や理解の仕方が異なる。また、民族や宗教の多様性を考えて、世界には死生観が異なるケースも多い。本論文では、日本人の葬式のやり方、葬式の変化、また葬祭業のサービスを通じて、死体に対する人道の配慮を分析し、日本人の死生観を考えてみたい。  【キーワード】葬式;葬祭業;納棺;日本人の死生観  1、現代の日本社会における葬式  日本では、死者に対する態度によって生者と死者と死霊の三要素が関連しあって、特有な死生観を生み出す。人の死を悼

2、んで人々が集まり営まれる葬式は、集まる人々に命の大切さと尊さ、生あるものは必ず死ぬべき存在であることを知らせる。人間は、単なる生物的な存在であるだけではなく、社会的な存在としてもこの世界に生きていく。つまり人の死は個人的な現象に拘らなくて、社会的と文化的な意味を含む。亡き人への感謝の思いを縁として勤まる日本人にとって、葬式は、物理の役割、文化と宗教の役割、心理の役割、教育の役割を果たす。  日本では、価値観の多様化、個人主義、核家族化の進行、地域社会の崩壊につれて、日本の葬式は地域共同体主体から家族主体に変わっていく。さらに、高齢者世帯の増加、非婚化、少子化などの原因

3、を加えて、「弔いは自由ではないか」とする主張が強まるようになって、自分たちなりの新しい様式を求める風潮が顕著になっている。  親類は葬式を執り行なうのが非常に頻度が低い行事である。また、短期間で大量の事務処理をしなければならないが、一般人のみで行なうのには限界がある。1954年に青森と函館を結ぶ連絡船が台風のために沈み、1400人以上が亡くなった際、損傷の激しい遺体を清めて遺族に引き渡すのを手伝ったのがこの仕事のきっかけだ。1969年納棺の専門の会社をつくった。葬祭業は遺体、宗教、関連法規など多岐にわたる知識が要求されて、多種多様なサービスを提供する。その一つは、エン

4、バーミングを施す。  遺族にとって、エンバーミングは死者を生前の姿に復元して、眠っているような姿を保つことを望んだニーズに応えたものであったといえよう。エンバーマーにとっは、エンバーミングは死の演出である。死者から死の苦痛と汚れを隠くして、あたかも眠っているが如き錯覚を遺族に懐かせるのであり、死の否定と生の擬装のパフォーマンスであるといえよう。  納棺師は、遺体を清め、「旅立ち」の服装を着せ、また男性が髭を剃り、女性が化粧を施して、死者の生前の姿と眼差しをよみがえらせる。納棺師の仕事は単なる死体の処理ではなく、亡き人を送り出す厳重で重みのある姿を整えるという神聖な仕事

5、である。  2、日本人の死生観  2.1生と死に対する日本人の見方  「不愉快に充ちた人生をとぼとぼ辿りつつある私は、自分の何時か一度到達しなければならない死という境地について常に考えている。そして、その死というものを生より楽なものだとばかり信じている。あるときはそれを人間として達し得る最上至高の状態だと思うこともある。「死は生よりも尊い」こういう言葉が近頃では絶えず私の胸を往来するようになる」。  漱石は『硝子声の中八』においてこういうような心情に浸ることがあったという。彼は、長い間ずっと「死は生よりも尊い」と信じている。  詩人として、宮本和樹は、「死ぬ事は別れ。

6、しかし、それは寂しい事ではない」、「自分でここまでかな、という瞬間がある。大人しくそれに殉じただけ」と発言している。彼は実際に自殺未遂を繰り返しているが、それは悲観的な気持ちからではなく、風のように自由になってほしい。  人々は死後について考えて、残された家族や、身近な人たちや、社会と世界の行く末などいろいろな配慮がある。日本人はどうしても死ぬということ、どうもがいてみても人生が有限なのだということを心得てはじめて、さまざまな知恵を用い、工夫を凝らして生きている。また、死は終わりではなく、生の一部分として美しくて尊いがあるということを信じるからこそ、生と死についてのこ

7、とをもっと寛容して達観することができる。  2.2東日本大震災に表れた日本人の死生観  日本の面積が狭くて、火山や地震など自然災害が頻繁なので、人々は毎日危機の中に暮らしている。2011年3月11日14時46分ごろ、日本の三陸沖を震源に国内観測史上最大のM9.0の地震が発生した。不思議なほど冷静な日本人は、死の恐怖の中でも動揺しなくて、想像を超越した大災難と沈着に対応している。人々は列に並んで救護食品を受け取ったり、売店の前で静かに待った後、必要な分だけ購入している。惨状を前に泣き叫ぶ日本人はほとんど見られなくて、混乱のうちに紛れて強盗や殺人事件が起

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