1984年のいじめ新闻~~

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1、中野・富士見中学いじめ自殺事件(=葬式ごっこ事件、鹿川裕史君いじめ自殺事件)【事件概要】 1986年2月1日、岩手県の盛岡駅ビルのショッピングセンター「フェザン」のB1トイレ内で、東京中野の富士見中学2年の鹿川裕史君(13歳)が首を吊って自殺しているのが発見された。遺書が残されており、彼の自殺がいじめによるものだと判明した。いじめは日常的に行われており、”葬式ごっこ”なるいじめには教師も参加していた。富士見中学校の生徒と教師【鹿川君について】 鹿川裕史くんは生地問屋に勤めていた父・雅弘さんと、母・みどりさんの第一

2、子として、1972年3月10日に生まれた。「裕史」という名は母方の祖父がつけてくれたもので、「裕」は心の広いさまを表す漢字だという。翌年には妹も誕生した。  1984年4月、富士見中学に進学。【いじめの光景】 1985年4月、2年に進級した鹿川君はそれまで仲の良かった友達と別々のクラスになった。だが富士見中学は生徒の9割以上が区立の中野神明小学校から入ってくる。仲の良い生徒でなくても、互いによく知ったクラスメートたちだった。 鹿川くんはごく自然にクラス内のグループと親しくなっていく。だが温和で152cmと小柄な鹿

3、川君は買い食いのために店に走ったり、下校時にバッグを持たされるという役回りとなった。いわゆる「パシリ」(当時はツカイッパ)である。7月下旬には担任のF教諭が父・雅弘さんに「裕史くんが仲間の使い走りをさせられているようですよ」と連絡している。このF教諭は定年を数年後に控えたおとなしい教師で、いじめの事実を知っていても生徒たちに強く指導することはなかった。 グループ内で下手に出ていた鹿川君に対するいじめは次第にエスカレートしていった。いじめのグループは2年A組だけではなく、B組に1人、D組に3人など複数のクラスにまた

4、がって存在していた。遺書(下記)で名指しされていた2人は同じA組の主犯格である。 プロレスごっこの投げられ役など、鹿川君を「サンドバッグの状態だった」と話す生徒もおり、彼らから見て、鹿川君は「何をしてもいい」存在になってきた。 10月1日、鹿川君はフェルトペンで顔にヒゲを描かれ、廊下で踊らされる。この時、通りかかった教師が間に入って注意している。いじめは他にモデルガンの標的、積み上げられたイスと机に閉じ込められる、野球拳を強要して服を脱がせる(鹿川くんの相手はジャンケンで負けても服を脱がず)といったことが行なわれ

5、ていた。 10月はじめ、グループはバンドを結成する。鹿川くんはボーカルとドラム担当だった。ただしマネージャー兼務。ここでもパシリ扱い的で、3年生の指導を受ける際には、鹿川君を「使う」メンバーは倍増した。この頃から鹿川くんはうつむき加減で多くなっていた。 10月15日かた17日まで、鹿川くんは家出をする。家出の理由ははっきりしないが、F教諭に「お父さんが怖い」と言った。 そして11月には葬式ごっこが行われるのである。【葬式ごっこ】 11月14日と15日、2Aのクラスでは鹿川君が死んだことにして、色紙を書き、教室で花

6、や線香をあげるという「葬式」をした。これはある生徒の「鹿川が死んだことにしようぜ」と言い出したことから始まり、昼の人気番組「笑っていいとも」の「安産コーナー」をヒントに、生と死を逆にして考えられたものである。 黒板の前には鹿川君の机が置かれ、そこには飴玉やミカンが並べられ、遺影と見たてて鹿川君の写真と牛乳ビンにさした花も置かれていた。その横の色紙には「鹿川君へ さようなら 2Aと その他一同より 昭和60年11月14日」と書かれており、クラスの生徒の署名や寄せ書きがあった。寄せ書きには「バーカ」「いなくなってよか

7、った」「バンザイ」「ざまあみろ」などと書かれており、教室に掲げられていた鹿川君の係の名札を、「もう死んだ人だから」と、黒マジックで塗りつぶした。 当時、鹿川君はスケートボードで足に怪我をしており、遅刻が多く、この日も遅れて教室に入ってきた。自分の机を見るなり、「なんだ、これー」と言って、笑いを浮かべたが、やがて黙り込んでしまった。 鹿川君はこの色紙を持って帰宅。キョトンとした様子で家族にこう言ったという。「これ見てどう思う?ここに先生も書いているんだよ!」 また鹿川君はのちに仲間に「俺、1度死んだんだよ」と漏らし

8、ている。鹿川君は以前からシカト(無視)されてもいた。こうした葬式ごっこはシカトの延長であり、彼のショックは相当なものだったというのは想像するにたやすい。しかも、葬式ごっこには担任ら4人の教師まで参加していた。教師らは生徒に「ドッキリだから」と言って頼まれて署名していた。この時点で、いじめだと気づいていたのか気づかなかったかは知らないが、教師の立場として悪ふざけが過ぎている

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