冈村秀典:汉三国西晋时代的纪年镜

冈村秀典:汉三国西晋时代的纪年镜

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1、KURENAI:KyotoUniversityResearchInformationRepositoryTitle漢三國西晉時代の紀年鏡:作鏡者からみた神獸鏡の系譜Author(s)岡村,秀典Citation東方學報(2013),88:534-463IssueDate2013-12-20URLhttp://hdl.handle.net/2433/180559RightTypeDepartmentalBulletinPaperTextversionpublisherKyotoUniversity東方學報京都第88册(2013):534-463頁漢三國

2、西晉時代の紀年鏡――作鏡者からみた神獸鏡の系――岡村秀典はじめに1.初の紀年鏡2.廣漢の出現(1)廣漢の紀年銘(2)廣漢の狀神獸鏡3.円安年閒の重列式神獸鏡(1)「示氏」系の重列式神獸鏡(2)「張氏元公」・「盖(方)」系の重列式神獸鏡4.吳 の紀年鏡(1)會稽の出現(2)吳の鏡工たち(3)會稽の銘にあらわれた神仙(4)會稽の重列式神獸鏡(5)同向式神獸鏡の系(6)對置式神獸鏡の系5.吳後の紀年鏡(1)吳後の銘(2)吳後の對置式神獸鏡(3)嘉興元年鏡とそれに關連する鏡(4)吳後から西晉代の吳おわりにはじめに銘

3、に年號を記した鏡は, 漢末に出現したのち,後漢をへて三國から西晉時代にかけて盛行する。この紀年鏡は,制作年代を示することから,その圖宴樣を基準に鏡の年を組み立てる基準料として活用されてきた。紀年鏡の硏究は,錢坫の『浣花拜石軒鏡銘集錄』(1797年)が私藏する後漢の元興元年(105)鏡をとりあげたのを嚆矢とする。20世紀になると,羅振玉は『古鏡圖錄』(1916年)〔1〕534漢三國西晉時代の紀年鏡において後漢の元興元年鏡からの洪武二十二年(1389)鏡までの紀年鏡33面を集?し,「鏡話」(『遼居雜箸』1929年)において,漢・六鏡の紀

4、年銘にみえる作鏡日の「丙午」は實曆の干荏とは合致しないこと,漢鏡の紀年銘では「正」が多いこと,魏晉以後は特定のに固定しないことを論じた。わが國でも美の大村西崖〔1915〕が後漢の熹三年(174)から円安十四年(209)までの紀年鏡6面をとりあげた。このような紀年銘の硏究をもとに,考古學から鏡の樣式と年をはじめて議論したのが富岡藏である。まず始円國二年(10)獸帶鏡や「王氏作悦…多賀怨家」・「怨善銅」などの銘をもつ方格規矩四神鏡を王厭代に位置づけ〔富岡1920:40-43頁〕,永康元年(167)鏡などから神獸鏡が後漢中に出現したこと

5、,紀年をもつ神獸鏡をもとに漢末から六代に神獸鏡が盛行したことを論じた〔同:13-38頁〕。また,群馬縣芝崎(蟹澤)古墳から出土した三角緣神獸鏡の「□始元年」銘を西晉の泰始元年(265)に比定し,三角緣神獸鏡の魏晉鏡說を補強した〔同:306-317頁〕。富岡の硏究を繼承した梅原末治は,漢三國六代の紀年鏡を集?した『漢三國六紀年鏡圖說』(1942年)をまとめ,それぞれの鏡に詳細な解說を加えた。それから$世紀をへて,日本%藏の紀年鏡を集めた展覽會が東京の五島美館で開かれ,その圖錄が公刊された〔五島美館學藝部1992〕。兩書とも可能なかぎり鮮

6、な鏡の寫眞や拓本を揭載し,現物の觀察にもとづいた正確な銘の釋讀を試みているため,いまなお紀年鏡硏究の基本圖書として大いに利用されている。怨中國が?立し,各地で國土開發が(むなかで,紀年鏡の發見が飛)*に增加した。とりわけ三國の吳が初に都を置いた湖北省鄂州市では,1980年代以影,紀年銘をもつ多數の神獸鏡が出土し,『鄂?漢三國六銅鏡』(1986年)や『鄂州銅鏡』(2002年)などの圖錄が公刊された。これをふまえて王仲殊は,三角緣神獸鏡の制作地に關連して漢末・三國代の紀年鏡を對象に硏究を(め,魏の「黃初」年號をもつ神獸鏡を吳の鏡と論斷し,吳鏡の實

7、態とそれをめぐる魏吳閒の政治.勢をらかにした〔尾形勇ほか譯1998〕。また,林裕己〔2007〕は漢鏡の銘を電子データ/するなかで,漢三國六代の紀年鏡銘を網羅*に集?し,その體例をいくつかのパターンに分類した。しかし,これまでは鏡の年に紀年鏡を利用することに關心が集中し,紀年をもつ銘と紀年をもたない銘とにちがいがあるのか,なぜ鏡の銘に制作の年日を記したのか,その背後にひそむ作鏡者の考えは十分に讀み解かれることがなかった。そこで,人科學硏究%の共同硏究「中國古鏡の硏究」班では,すべての鏡銘を對象に釋讀と譯1の作?を試み,紀年銘について

8、も集釋〔「中國古鏡の硏究」班2012〕とその硏究?果を公開した。このなかで光武英樹〔2012〕は,紀年銘の年日と干荏に着

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