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时间:2018-07-24
《ipshu研究報告シリーズ ome.hiroshima-》由会员上传分享,免费在线阅读,更多相关内容在教育资源-天天文库。
1、平和構築としての広島の戦後復興篠田英朗(広島大学平和科学研究センター准教授)はじめに 本稿は、主に政治的な視点から、広島の戦後復興史を概観する。その目的は、平和構築のプロセスとして、広島の戦後復興史を描き出すことである。 戦後復興の事例として「広島」が漠然と言及されることは、決して少なくない。しかし果たして本当に広島の事例が現代世界の地域紛争後の平和構築と関連性を持っているのかについては、これまで必ずしも体系的に論じられてこなかったただし、篠田英朗「平和とは生き続けることである-国際平和構築活動とヒロシマの遺産」、『ラチオ』03号
2、、2007年、318-335頁、参照。また筆者は、これまで広島を訪問したボスニア・ヘルツェゴビナやアフリカ諸国からの国際協力機構(JICA)招聘研修員、外務省招聘のイラク等からの外交官や政治家、JICA研修プログラムでの留学生、国連訓練調査研究所(UNITAR)招聘アフガニスタン人、またNGOピースビルダーズ事業での研修教材開発を通じたシエラレオネ人、その他のシンポジウム等の機会の際に、平和構築の観点から、広島および日本の歴史を語ってきた。その数は延べ数十回、対象者は延べ数百人に及ぶ。本稿は、そうした活動をふまえて執筆されたもので
3、ある。。むしろ日本・広島の歴史と、現代世界の平和構築の事例の違いが強調されることも多い。しかし相違は相違として当然視しつつ、本稿はあえて異なるアプローチで広島の事例を扱う。つまり、広島の事例が現代世界の平和構築に対して何らかの示唆を持ちうるとすればそれは何なのかを、本稿では探究していく。それは決して相違点を無視して、類似点を探し出すことを意味しない。そうではなく、本稿は、戦後復興を成し遂げて平和都市として生まれ変わった広島という地方都市の歴史が、どのような現代的な示唆を持っているのかを探求することを目指す。つまり本稿は、広島が持つ
4、平和構築の事例としての性格を明らかにすることを目指していく。108 このような作業を行うにあたって本稿が描き出す広島の歴史は、次のようなものである。広島は、明治期の内戦構造克服過程の日本において、典型的な平和構築政策を地方レベルでとったが、必ずしも成功はしなかった。しかし偶然の要素により、「軍都」として発展を遂げた。原爆の投下は、物理的な被害だけではなく、広島にそれまでの平和構築政策の帰結を反省し、新しい平和構築の政策を求める必要性を与えた。第二次世界大戦後の広島の歴史とは、修正された地方都市の平和構築政策の実例である。地方都市レ
5、ベルの視点ではっきりと確認することができる平和構築の歴史的事例を示している点で、広島の事例は大きな意義を持っている。平和構築は、現代世界においても、地方レベルでも様々な形で模索されるべき活動である。しかし通常は国家的な規模で行われる平和構築政策に関心が集まるため、地方レベルでの平和構築の重要性は決して十分に強調されているとは言えない。広島の事例は、地方の視点で平和構築を考えるための題材としては、稀有な性格を持っていると言えるだろう。ただし広島は日本の一部として存在してきた。したがって広島の歴史を振り返ることは、日本の歴史を振り返る
6、ことでもある。「軍都・広島」から「平和都市・広島」という平和構築政策の歴史的展開は、軍国主義国家・日本から平和主義国家・日本への平和構築政策の歴史的展開と不可分一体の関係にある。広島という地方都市における平和構築の歴史は、日本という国家全体における平和構築の歴史を、極めて象徴的に体現していると言っても過言ではない。広島を見ることによって日本が見えるという意味においても、広島の歴史を振り返ることに意味があると言える。 広島の事例は、完全な荒廃から立ち上がった、ある日本の地方都市の興味深い復興の歴史を示している。それは極めて独特な歴史
7、的背景を持っているが、しかしだからといって他の戦後復興と根本的に異なり、全く無関係な事例とまでは言えない。もちろん広島が復興の普遍的なモデルとなると考えるのは、正しくない。その一方で本稿が主張するのは、多くの教訓を引き出すことができる地方都市の復興事例として広島の歴史を見ることは可能である、ということなのである。1. 軍都広島の発展1081-1 「DDR」の失敗 本稿では、広島の歴史を明治期から振り返る。その理由は主に二つある。困窮する旧士族層と農村部の問題は、その後の広島の歴史を大きく規定した要素である。その要素が明治期に存在し
8、、明治期の対応策の影響でその後の広島の歴史が形成されたことは、本稿が確認しておかなければならない重要な点である。第二に、日本の近代史を見ると、明治初期まで「内戦」構造が続いていた。明治の近代化はある意味でその内戦構造を克服する戦後「平和構築」の過程
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