大正七年皇室典范増补王公家轨范制定

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时间:2019-03-03

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1、ない御叱正をお願いしたい。資料室所蔵)についての筆者の理解が当を得たものであるのかどうかご批判を仰ごうと思ったからである。忌揮のを公にしたのは、従来殆ど紹介されたことのない平沼験一郎文書所収の王公家軌範案関係史料(国立国会図書館憲政嶺之介氏の詳細な研究(「大正期皇室法令をめぐる紛争ω㈲」『社会科学』二八・三四号及び「近代日本の皇室制度」鈴木正幸編稿はその】環として、大正七年に行われた皇室典範増補について論じたものである。既にこの問題については高久 筆者はここ数年、明治皇室典範制定過程の研究に従事し、近々それに関する資料集を刊行する予定でいるが、本『近代の天皇』吉川弘文

2、館刊所収)があって、本稿も多くを同氏の研究に負っているけれども、それでも猶あえてこれ大正七年の皇室典範増補と王公家軌範の制定はしがき島善 高1早稲田入文自然科学研究 第49号 ’96(H.8).3                                            (5)書。『伯爵伊東巳代治』下巻三〇頁以下)を提出、これを大隈重信首相や波多野敬直宮内大臣らに送って、まだ発表になが生じてきた。ちょうどその頃、大正五年九月上旬、伊東巳代治が「皇室制度再三議」憲政資料室所蔵皇、田勇三郎文本宮方子女王と二王世子との間に婚約関係が成立するようになって、前韓国皇

3、室の法的地位をはっきりさせる必要                            (4)たが、大正五年八月頃、皇室と李王家との間に婚姻問題が発生して、すなわち朝鮮総督寺内正毅が仲介役となり梨書」「李家殊遇ノ詔書」が出され、その中に「待ッニ皇族ノ礼ヲ以テ艶特出殿下ノ敬称ヲ用」いさせる云々とあっ ところで、明治四十三年八月過韓国併合が行なわれ、入月二十九日に栗原らが起草した「前韓国皇室殊遇ノ詔儀式が続いたため、皇室制度の調査も暫く中絶した。                     (2)されたものの中にも制定公布に至らぬものが残っていたが、明治天皇崩御、昭憲皇太后の

4、崩御、大正天皇の即位と四十四年三月に皇室令整理委員は解任された。まだ天皇から下付されない法律案、勅令案、皇室令案があり、下付について奉答すること、また内閣・枢密院・皇族会議等に於いて説明の衝に当たることであったが、程なく、明治巳代治が御内沙汰で委員の仕事を指導主宰した。皇室令整理委員の任務は、天皇の手元に捧呈してある草案の下問                   (1)下に皇室令整理委員が設置され、奥田義人、岡野敬次郎、栗原広太そして森泰二郎の四名がその委員となり、伊東 明治四十年二月に帝室制度調査局が廃止され、残務取調も終わった後、明治四十一年一月二十二日、宮内大臣

5、のっていない皇室令の進行、及び懸案となっていた朝鮮王公族に関する軌儀の制定をうながしたのである。(3)一 帝室制度審議会の設置2大正七年の皇室典範増補と王公家軌範の制定  一 王公族礼遇ノ詔書ハ併合条約ヲ根拠トシテ発セラレタルモノナリや規ノ件」と第二「皇族ト王族トノ婚嫁二関スル件」とが審議された。第一については                            (6) 大正五年十一月十五日、李王家関係の再案起草に従事する第一特別委員会が開かれ、第一「王族公族二関スル法日、帝室制度審議会の初会合で演説し、各特別委員を発表するとともに、帝室制度の完備にむけての意欲を示

6、した三特別委員に岡野・平沼・鈴木・山内を、「請願令」を担当する第四特別委員に岡野・平沼・有松・二上・馬場を、上.富井を、「皇統譜令及施行規則」を担当する第二特別委員に奥田・石原・二上を、「皇室裁判令」を担当する第三郎らを委員に任じ、「李王家関係ノ首鼠起草」に従事する第一特別委員に岡野・平沼・有松・倉富・奥田・二倉富勇三郎・岡野敬次郎・奥田義人・有松英義・富井政章・鈴木喜三郎・馬場鋲】・二上兵治・石原健三・山内確 そこで宮内省は、大正五年十一月四日、帝室制度審議会を設置し、伊東巳代治を総裁としたほか、平沼駅一郎・(憲政資料室所蔵倉富勇三郎文書所収「伊東帝室制度審議会総裁

7、演説」)。「遺言令及後見令」を担当する第五特別委員に奥田・山内・富井を、それぞれ配置した。そして伊東は十一月十四四三二然うハ王族公族ノ国法上ノ地位如何ノ地位如何以上諸問題二関聯シテ更二前提問題トシテ皇族ノ国法上ノ地位ヲ明瞭ニスルノ必要ヲ生ス即皇族ノ国法上礼遇詔書二於テ「待ツニ皇族ノ礼ヲ以テス」トアルハ其ノ意義如何(中略)(中略)3  ナリヤ六 王族公族ヲ臣民ナリトセハ  キヤ五 王族公族ヲ臣民ニアラストセハ(へ) 詔書ヲ以テスヘキヤ(ホ) 直二制令ヲ以テ規定スヘキヤ(二) 内容二部リテ区分シ権義ハ之ヲ法律ヲ以テ規定シ其ノ他ハ皇室令ヲ以テ規定スヘキャ(

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