第4章 懐风藻

第4章 懐风藻

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时间:2019-06-13

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1、第4章 懐風藻『日本文学史』高鹏飞平山崇著編者選者は不明だが、淡海三船(おうみのみふね)とする説が有力である。淡海は、奈良時代の学者で、大友皇子の曾孫である。漢詩文にすぐれ、第一級の文人と評された。編纂の経緯日本が中国の漢詩文への関心を高めたのは天智天皇の頃からである。当時、日本は隋の律令制を摂取していたため、漢詩文の知識と創作も官人にとって重要であった。天皇も漢詩文を愛好し、制作を奨励したので、貴族たちが争って漢詩文を作る時代でもあった。こうして漢詩は伝統的な和歌に対して公的な性質を帯びるようになる。このような背景の下で漢詩文が編集された。『懐風藻』以外にも漢詩集が編纂されたと推定され

2、るが、現存するのは、本書のみである。成立751年成立。現存最古の漢詩集で、約80年間にわたる64人の作品、約120編を作者別、年代順に収録する。80年間を前期、後期に分けると、影響を受けた中国の漢詩集はそれぞれ異なる。★前期・・・・・・『文選』、『玉台新詠集』、『芸文類聚』など。六朝詩の模倣。★後期・・・・・・上記に加えて、『王勃集』など。初唐詩の影響。漢詩の内容は、宮廷の宴席や遊覧の詩が多く、個人の感情を吐露したものはほとんどない。書名の由来、文学的意義書名の「懐風」とは「古い詠風を懐かしむ」という意味である。確かに当時から見れば六朝の詩は古く懐かしいものであった。「藻」は美しい詩文を

3、示す。作品の中には創造性に欠け、中国詩の模倣に終わっているものも多い。文学的な価値は薄い。しかし、日本人が漢詩を公的な文学として認識し、創作に励み、編纂した最初が本書であった。その意義は大きい。漢詩はのちに桓武天皇、嵯峨天皇のもとで更に隆盛していくこととなる。歌の一例●「侍宴」 大友皇子皇明光日月 帝徳載天地 三才並泰昌 萬國表臣義(訳:天皇の御威光が照り渡る様は太陽や月の光のようだ。天皇の徳の大きさは天地が万物を包み込むようだ。三才(天・地・人)はみな安定しているばかりか盛んになっている。このような天皇にすべての国が儀礼を表す。)歌の一例●「春苑言宴」 大津皇子開衿臨靈沼 遊目歩金苑 

4、澄徹苔水深 暗曖霞峰遠 驚波共絃響 哢鳥與風聞 羣公倒載歸 彭澤宴誰論(襟を開いて楽にして、御苑の池にそばで、春の景色を楽しみながら、散歩する。池の水は澄んでおり、深い底に苔がある。暗くぼんやりとした峰が遠くにある。池の波が荒々しいが、琴の音と響き合い、鳥のさえずりが風の間に聞こえてくる。諸公は酷く酔いつぶれている。陶淵明の酒宴も顔負けだ。〕歌の一例●「飄寓南荒贈在京故友」 石上朝臣乙麻呂(いそのかみのあそんおとまろ)遼夐遊千里 徘徊惜寸心 風前蘭送馥 月後桂舒陰 斜雁凌雲響 軽蝉抱樹吟 相思知別慟 徒弄白雲琴(訳:遙か遠い他郷をさすらう我が身の不運を嘆く。蘭の芳香が風にのって流れ、月の

5、下で桂の影が伸びる。雁は雲間を鳴いて渡り、蝉は木で鳴いている。互いに思い合うから離別の悲しみがわかる。これを慰めようと、白雲の彼方で琴を弾く〕課題研究1.『懐風藻』の文学史的意義について述べなさい。2.『懐風藻』の内容を簡潔に述べなさい。3.六朝について概略を述べなさい。4.『懐風藻』が編纂された当時の漢詩文と和歌の関係について述べなさい。5.唐風謳歌時代について述べなさい。1.『懐風藻』の文学史的意義に ついて述べなさい。『懐風藻』は日本人が漢詩を公的な文学と認識し、自らも試作した記念碑的な作品である。そのレベルは、中国の漢詩の模倣から出ていないが、そもそも、最初から優れた漢詩を書ける

6、はずもない。『懐風藻』は後代の漢詩集への礎石となる役割を果たしたといえる。2.『懐風藻』の内容を簡潔に 述べなさい。宮廷の宴席(えんせき)や遊覧(ゆうらん)の詩が大部分を占める。個人の感情を吐露したものはほとんどない。また、形式は五言詩である。3.六朝について概略を述べなさい。中国の華南地域に興った6つの王朝の総称である。三国時代の呉、東晋、および南朝の宋・斉・梁・陳である。この時代(222年–589年)を六朝時代(りくちょうじだい)と呼ぶ。4.『懐風藻』が編纂された当時の漢詩文と和歌の関係について述べなさい。日本は、社会制度や都など、多くのことを唐から学んでいた。そのため文学も自ずと漢

7、詩文が公的なものとなった。和歌は私的な文学となり、男女間の恋が詠まれた。重要視されたのは漢詩であった。5.唐風謳歌時代について 述べなさい。平安時代初期の日本は、唐風文化の摂取に力を入れた。天皇も漢詩文を愛好したので、宮廷人の間で漢文詩が盛んとなった。盛唐の詩にならった華麗な七言詩を中心とする漢詩が流行し、宮廷の宴会などでは詩賦が作られた。漢詩は公的な文学とみなされ、『凌雲集』をはじめとして『文華秀麗集』、『経国集』などの勅撰漢詩集

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