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《《アジア的生产様式论と日本の中国史研究ー福本胜清》》由会员上传分享,免费在线阅读,更多相关内容在行业资料-天天文库。
1、明治大学教養論集通巻370号(2003・3)pp.51-89アジア的生産様式論と日本の中国史研究福本勝清中国及び中国史研究とアジア的生産様式論争は,戦前,戦後ともに密接なつながりを有していた。だが,もっとも論争が大規模に闘わされた第二次論争期(1965~1980年前後)において,中国及び中国史研究とアジア的生産様式論争との関わりは,以前に比べずっと控えめなものとなった。筆者が第二次論争期をあつかった前編(福本,2003)において,中国史研究について言及しなかったのは,一つには紙幅の都合からであった。だが,同時期の中国史研究におけるアジア的生産様式論争,というよりは共同
2、体論争が,第二次アジア的生産様式論争とは,やや異質な側面を有しているという理由からでもあった。本稿は,まず戦前戦後の中国研究とアジア的生産様式論争の関わりについて,その軌跡を概述するところから始めたい。つづいて戦後の「世界史の基本法則」に即した中国史研究の再編成について触れ,そしてその反動としての1960年代に始まる古代・中世共同体論争,さらに70年代以降の古代史におけるアジア的生産様式論を分析・検討したい。それらを通じて,これらの論争が如何なる特質を持っていたのか,アジア的生産様式に関わる他の論争とどのような違いがあったのか,さらに中国及び中国史の理解にとってどのよ
3、うな意味を持っていたのかについて考察してみたい。1アジア的生産様式論とアジア的停滞論戦前日本のアジア的生産様式論争は,1931年2月のレニングラード討論52明治大学教養論集通巻370号(2003・3)の後,本格化した。それゆえ,原始共産制の生産様式でもなく,原始共産制から階級社会への過渡期の生産様式でもなく,奴隷制や封建制の生産様式の変種でもない,独自の社会構成としてのアジア的生産様式論を唱えるものは存在しなかった。むしろ,存在しえなかったといった方があたっていよう。論争はソ連においてすでに決着をみていた。独自の社会構成としてのアジア的生産様式論は,誤ったものとして否
4、定されていた。だが,それにもかかわらず,独自の社会構成としてのアジア的生産様式論は,マジャールやウィットフォーゲルらの中国研究を通して,日本の理論家たちに伝えられ,日本の論争に十分な活力を与えていた。早川二郎,相川春樹,秋沢修二,森谷克己といった古代史論争の参加者はいうまでもなく,羽仁五郎,平野義太郎ら講座派の理論的指導者たちの間においても,アジア的生産様式論の提唱者であるマジャールやウィットフォーゲルは,単によく知られていたというだけではなく,十分に読み込まれていた。というより事態は逆であったであろう。野呂栄太郎,服部之総,羽仁五郎,平野義太郎らの講座派の指導者はみ
5、なアジア的生産様式論争に対し強い関心を示していた。特に平野は,ウィットフォーゲルの翻訳老にして,且つその理論の解説者としても知られていた。すなわち野呂をはじめとする理論的指導者の関心の持続があったからこそ,古代史論争の主役たちも,アジア的生産様式論争に対し積極的な態度をとりえたといえる。ここで説明しなければならないのは,むしろ,講座派の論客たちのアジア的生産様式びいきといった点であろう。それに対し,労農派においては,そこからもはぐれ気味であった猪俣津南雄がアジア的生産様式論を組み込もうとしていた以外には,総じて無関心であったようにみえる。講座派の理論的関心は,実際には
6、日本における停滞の証明であった。そこにアジア的生産様式の役割があった。アジア的生産様式が,たとえ古代の生産様式であってもかまわなかった。要は,古代におけるアジア的生産様式が,後代にまで中世・近世を経て近代にまで一強い影響を及ぼしていアジア的生産様式論と日本の中国史研究53ることが重要であった。講座派の「日本における停滞論」(日本的停滞論)を否定する労農派が,アジア的生産様式論争に無関心だったり,否定的であったりした理由がそこにある。その点において,ヨールクやゴーデスのアジア的生産様式否定論がそのような講座派の理論的要求に応えることができないことは明らかであった。マジャ
7、ールやウィットフォーゲルのアジア的生産様式論こそ,それに応えるものであり,講座派の理論家たちは,中国を舞台としたアジア的生産様式論を,その理論的要請に合わせて読み替え,日本における停滞を証明しようとしていた。それに対し,同じように講座派の枠組に依拠しながら,中国における資本主義的発展を展望しようとしていた中西功にとって,アジア的生産様式論は受け入れがたいものであった。中西に論争の影すらみえないのは,そのためであった1)。マルクス主義的な歴史研究は講座派の影響のもとに始まった。だが,日本のアカデミズムにおける中国史学(いわゆる東洋史学)は,マルクス史学