大学英语教育改革1

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1、大学における英語教育改革 その1──英文学の新しい位置付け──久野 寛之序文金もうけはそれだけでは十分ではありません。精勤はそれだけでは十分ではありません。まじめさもそれだけでは十分ではありません。…知性と知識に対する人間の要求、美に対する欲求、社交を求め、気持ちのよい、上品な社交上の作法を求める天性、これらの刺激も感ぜしめられ、1満足させられる必要があります。19世紀のイギリスが生んだ偉大な文芸批評家・社会批評家マシュー・アーノルドが、人生60年を経て口にしたこのことばを、すべての読者諸氏とともに、深く味わい、かみしめ、本小論の最後まで記憶にとどめておきたい。なぜなら、この短い一節が

2、私たちに連想させ2る、あの「円満な完全」(harmoniousperfection)──それを人間にもたらす「教養」(culture)3というものを、日本の大学英語教育の「現在の窮境を大いに救うものとして、推奨する」ことが本小論の最終目標になるからである。1.はじめに1.1.本小論の目的 本小論の主たる目的は、大学における英語教育のあるべき方向を示しながら、北海道文教大学における英語教育の改革について、一つの新しい指針を提言することである。1.2.「改革」の意味 改革と言う以上、その前提には、現状に問題が存在するという認識があることは言うまでもない。本小論で論ずる問題は、科目の内容や担

3、当教員の授業の質を向上させるための個別努力の領域に関するものというよりは、本学の英語教育課程が全体として呈している問題、英語教育あるいは外国語教育一般に関するパラダイムに関するものである。そして、それを改革するということは、大学における英語教育(さらに言えば、外国語教育全般)を、《ことばはコミュニケーションの道具である》という、あまりにも単純で乱暴な発想の呪縛から開放するということ意味している。本稿は、そのための小さな試みである。 古い皮袋に新しいワインを入れることはできない。外国語学部三学科(英米語、中国語、日本語)からスタートした北海道文教大学(以下、「本学」)に、まず人間科学部健

4、康栄養-75-学科が、次に理学療法学科が、そして作業療法学科が増設され、さらに成長を続けようとしている今、外国語教育の新しい方向性と枠組みを確立し、語学教育を中心課題とする外国語学部はもちろん、人間科学部の専門教育、さらには短期大学部の専門教育にも資するような柔軟かつ強力な基礎英語教育を開発していく必要がある。それを可能にするために必要なパラダイムシフトを本小論は提言する。1.3.二つの提案 「大学における英語教育改革」は、二つの提案によって構成されている。本稿では、そのうち第一の提案だけを論じ、第二の提案は、本稿の続編として次号の『論集』に掲載することを予定している。 第一の提案は、

5、「実用英語」なるものを重視するあまり、大学における英語教育の本質を見失いかけている最近の流れについて方向修正を求める。とりわけ、英文学及び英文学関係科目をカリキュラムの片隅に追いやる傾向に対して、その反省と修正を促し、真に「実用」に供する英語教育を実現するためにも、英文学教育の新しい位置づけと再生による教養教育の確立が必要であることを論じる。 また、第二の提案は、一般教養科目・総合教育科目としての英語教育と、専攻科目としての英語教育、この二つの分離と総合についての提案である。具体的には、総合教育、即ち所謂一般教養としての基礎英語教育(外国語学部では「総合教育科目『英語Ⅰ~Ⅳ』」、人間科

6、学部では「教養科目『英語コミュニケーションⅠ~Ⅳ』」と呼ばれる科目群)と、英米語コミュニケーション専攻の学生のための1、2年次の必修英語教育科目群、この二つの科目群を統合して、従来よりもはるかに経済的で、効率のよい基礎英語教育を実現するための具体的な方法を提言する。さらに、その基礎英語教育が、無駄なく効率的に各専攻の専門教育へと連携していくような一貫した英語教育のプログラムを確立するための具体的な方法も提案する。小規模総合大学としての多様な教育的ニーズに応えながら、経営的な最適化、すなわち費用対効果の最大化を実現するための《新しい皮袋》を提案することが、第二の提案の主な内容となる。2.

7、大学の現状と英語教育の目的2.1.大学の本来の目的とその変節の過程 そもそもなぜ大学において英語教育が必要とされるのだろうか。大学において、英語教育がいかにあるべきかについて論じる前に、まずこの基本的な問いに答える必要がある。 しかし、大学になぜ英語教育が必要かを論じる前に、大学とはどのような場であるのか、その本来の姿と現状に関する認識をまず以下に提示する。 大学とは、教育機関であると同時に研究機関でもあるという二面性において、それに先行するど

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