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时间:2018-07-28
《日语语言文学毕业论文-论李鸿章和伊藤博文》由会员上传分享,免费在线阅读,更多相关内容在学术论文-天天文库。
1、本科毕业论文论文题目:论李鸿章和伊藤博文学生姓名:学号:专业:日语语言文学指导教师:学院:外国语学院12009年5月31日毕业论文(设计)内容介绍论文(设计)题目李鴻章と伊藤博文选题时间2008年12月27日完成时间2009年5月25日论文(设计)字数7123关键词李鴻章 伊藤博文 洋務運動 明治維新 甲午中日戦争论文(设计)题目的来源、理论和实践意义:近代化不仅是一种具有客观必然性的自在的历史运动,而且也是一直明显的凸现出社会主体主观能动性的自为的历史运动。在近代化运动中,人们的社会观念、尤其是居于运动前沿的领导人物和领导集团的主导意识,深刻的影响着运动
2、进程的本质和面貌。因此,中日近代化比较研究,不仅可以进行诸如洋务运动、戊戍维新和明治维新等中日近代化运动本身的比较研究,而且还应该进行主导中日近代化运动的有关代表人物和政治集团、社会群体的比较研究。李鸿章和伊藤博文是对19世纪中日近代化全局发生过重要影响的人物,通过对他们的分析比较,有助于拓宽和加深对当时中日近代化成败历史的认识。论文(设计)的主要内容及创新点:在中日历史界,有关李鸿章和伊藤博文的学术研究著作非常多,对两者之间的比较也比较充分。例如:约翰·濮兰德《李鸿章传》梁启超《李鸿章传》桐城吴汝纶先生主持编纂《李文忠公全书》久米正雄《伊藤博文传》久米正
3、雄《伊藤博文时代》,随着研究的深入,相信关于两者比较的著作将会越来越多.附:论文(设计)本人签名:年月日目次摘要2要旨2一 はじめに2二、洋務運動における李鴻章と明治維新における伊藤博文3三、西洋化と東魂洋才5四、根本的な相違と客観な環境9五、終りに10参考文献11李鴻章と伊藤博文 ――中日近代化の先駆者の比較摘要:近代化不仅是一种客观的必然的自然的历史运动,也是体现社会主体能动性的历史运动。在近代化过程中,人的价值观,特别是领导者的价值观会对近代化运动的过程及其结果产生极大的影响。因此,研究对中日两国的近代化产生了极大影响的李鸿章和伊藤博文
4、,对学术上的中日两国近代化研究来说,是至关重要的。本稿拟通过对此二人一生的比较,来探寻导致中日两国近代化产生不同结果的根本原因所在。关键词:李鸿章洋务运动伊藤博文明治维新近代化甲午中日战争要旨:近代化は客観的、必然的、自然的歴史運動だけではなく、社会主体の主観的な能動性が生かされる歴史運動でもある。近代化の過程においては、人間の価値観、特に近代化を主導する指導者たちの価値観は、運動の過程及びその結果に大きく影響するものである。よって、中日両国の近代化に大きな影響を与えた李鴻章と伊藤博文についての研究は、学界の中日両国の近代化研究にとって、極めて重要なもので
5、ある。本稿ではこの二人の一生の比較を通して、中日両国の近代化を異なる結果に導いた根本的原因を探ろうと思う。キーワード:李鴻章 洋務運動 伊藤博文 明治維新 近代化 甲午中日戦争一 はじめに 19世紀中期、中日両国には西方の資本主義の外圧と体制内部の軋轢による体制的矛盾があった。これが内憂外患と呼ばれた歴史的な要因だが、外圧とは、中国の植民地化を進めていた西方資本主義のアジア進出をさす。両国は対外的な危機意識が強めていた。内憂とは太平天国の乱(中国)と豪商、下層武士が政治運動の主力になったこと(日本)であった。この内憂外患を背景にして改革は一触即発であっ
6、た。李鴻章と伊藤博文は、中日両国のこのような近代化過程の中で、開拓的な人物となったものであった。二、洋務運動における李鴻章と明治維新における伊藤博文李鴻章は若いころ、文官の出身であったが、自ら軍に投じて軍事にも携わった。清国はあらゆる面で末期的現象を示していたが、とくに内乱が相次ぎ、太平天国運動が蔓延して、政府軍が甚だ振るわなかった。その時、かれは郷里にかえって郷勇(志願兵)を組織し、それを訓練し、それによって太平天国運動を防ぎ、その後、英人ゴルドン将軍と連合して各地に太平天国の軍隊を破り、いよいよその才能がみとめられた。その後のかれの官歴は絢爛としている
7、。五国通商大臣をふりだしにほどなく南洋通商大臣をかねた。この経歴は、かれを外交上の腕達者に仕あげてゆく。さらに欽差大臣になり、北洋通商大臣をかね、ついで海軍を建設し、1886年に李鴻章は全権大臣になった 。 伊藤博文は、天保12(1841)年9月2日、林十蔵・琴子夫妻の子・利助として生まれ、9歳までは山口県光市大字束荷(旧・熊毛郡大和町)で過ごした。その後萩に移り住み、父十蔵が長州藩士・伊藤家の養子となったため伊藤姓を名乗り、吉田松陰の松下村塾に学んだ後は、桂小五郎(木戸孝允)、高杉晋作、井上馨、山県有朋らと倒幕運動に奔走した。 明治維新後は新政府の要職を
8、歴任し、明治18(1885)年には初代内閣総理大臣となり、また、同
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